2006年09月30日
二連木城 41
二連木城は,戦国時代の戸田氏の居城である
二連木城は戦国の世に入った明応2年(1493)に田原城・城主戸田宗光により築かれた。その後、この地は多くの戦場となり天正18年(1590)城主戸田康長の時に廃城となった。城は朝倉川を臨む段丘端に築かれ、約600m2の本丸をはじめ、本丸北に蔵屋敷、東に二の丸、さらに二の丸を取り囲むように東曲輪と南曲輪がある。それぞれ土塁と堀で隔てられていた。 現在公園となっているところは本丸跡、老人福祉センターのある二の丸跡、そして本丸周辺に空掘や土塁の一部が残っている。 現地案内板より
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二連木城は戦国の世に入った明応2年(1493)に田原城・城主戸田宗光により築かれた。その後、この地は多くの戦場となり天正18年(1590)城主戸田康長の時に廃城となった。城は朝倉川を臨む段丘端に築かれ、約600m2の本丸をはじめ、本丸北に蔵屋敷、東に二の丸、さらに二の丸を取り囲むように東曲輪と南曲輪がある。それぞれ土塁と堀で隔てられていた。 現在公園となっているところは本丸跡、老人福祉センターのある二の丸跡、そして本丸周辺に空掘や土塁の一部が残っている。 現地案内板より

Posted by アミ at 16:57│Comments(0)
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